「味」に思う。相対的なものだと。

最近「美味しい」「旨い」ということに、どうなんだろう、そんな疑問があるので考察してみました。
なぜそう感じたかというと、これは主観なのでなんとも言えませんが、そんなに美味しいと思わない飲食店でも行列ができる現象があるからです。
なぜこのようなことが起こるのか、観察するといわゆるインフルエンサーと言われる方々が「美味しい」と言ってるからなんですね。
「この人が美味しいと言っている=美味しい」
このような数式が成り立ってるわけです。
そこで「味」って何なんだろう・・・
そう思ったわけなんです。
ここからは、すこし哲学的な話になるかもしれませんが、私が思う「味」について話したいと思います。
「味」は知ってる味が基準

もう数十年も前ですが、とあるテレビで原住民の生活を追っている番組がありました。
そこで今でも覚えているのが、木の根元を掘っていると、日本でいうカブトムシの幼虫のようなでかい幼虫がドンドン出てくるんですね。
そしてその幼虫を、原住民の方々が我先にと、取り合って美味しそうに食べてるシーンがありました。
土から出てかたばかりの幼虫を、パクパク食べるんです。しかも美味しそうに。
なかなかシュールなシーンに、今でも覚えてます。
そしてその方々に後日、リポーターの人が日本から持って行ったカップラーメンを提供するんですね。
原住民の方々は、恐る恐るそれを食べるんですが、とても不味そうに食べてました。
これは極端な例ですが、「味」ってそういうもんだなぁ・・・と感じるんです。
絶対的なものではなく、相対的なものだと。
自分が知っている味がベースとなり、基準点がそこにあるわけですね。
なので普段あまり塩味などあまり添加しない、ましてケミカルな味に慣れてない食生活の方々が、カップラーメンなど食べると不味いんだろうなぁと感じるわけです。
絶対的、相対的とは

絶対とは「唯一」または、「代わりがない」ということです。
例えばその家の「お父さん」これは絶対的な存在です。
その家にとって代われる存在がいない、唯一の存在です。
どんなお父さんでも、血のつながりがあるのお父さんはお1人です。
唯一で変わりがない存在ですね。
しかし世にいう「お父さん」という相称は、世界中に沢山存在します。
これは立場を相対的に見たときの「お父さん」ということです。
お父さんは会社に行けば、「部長」や「課長」など役職で呼ばれたりもしますね。
同じお父さんでも、立場などで呼び名が変わったりします。
これは相対的な見方です。
子供にとって、お父さんという存在。
会社にとって部長という存在。
これは相対的に見た時の立場です。
その人にとっての「味」の見方も相対的な見方をしてます。
以前台湾の友人に、「台湾でポピュラーな調味料って何?」と聞いた時に、
「沙茶醤(サーチャージャン)」
という答えが返ってきました。
日本でいう、味噌醤油のようにどこのご家庭にも常備しているとのことです。
この味を説明しようとすると、なかなか難しいです。
なぜなら日本にこれに近い存在がないからです。
醤系なので、発酵調味料なんだろうなという想像はできるのですが、いざ食べてみるとなんとも表現し難い味でした。
というのも、そもそもこれに似た味を知らないからなんですね。
ということで、味を測る時に、いかに自分の知っている味を基本にしているのか実感したわけです。
自分の味覚を信じよう

冒頭で話した、それほど美味しくもないお店に、行列ができる。
ということについて、少し考えてみたいと思います。
料理って自分が美味しいって思うものが、最高なんじゃないかなぁ・・・
そう思うんですね。
私は仙台の生まれなんですが、海のパイナップルと言われる「ホヤ」が好きなんですね。
でも今は千葉県に住んでるんですが、こちらのスーパーで売ってるホヤは仙台で食べるホヤよりも高いし味も落ちます。
しかし友人にホヤって食べたことある?って聞くと結構食べたことがない人が多いです。
そして実際に食べてもらうと、「うわっ美味しい、また食べたい」とはなかなかなりません。
その代わり千葉県民は、給食でミソピーなるものが出てたりと、ピーナッツにはとても慣れ親しんでる文化があります。
なので自家製の味噌ラーメンのスープに、このミソピーを使ったりしてました。
このように、生まれ育った場所で食したものは、ソウルフードとなり、その人の「味」の基準を作ります。
なので自分の知らない料理などに対しても、これってどうなんだろう?正解が判らない。
こうなるのかも知れません。
私はコーヒーも自家焙煎をしています。
もう自家焙煎をしてから、何年も経ち自分のコーヒーの好みなど判ってます。
しかし焙煎当初、手探りだったころ近所にプロの焙煎士がいたのでよく通って話しを聞きました。
そこの焙煎士の方に、「旨いコーヒーってどういうコーヒー」って聞いたことがあります。
その焙煎士はこうキッパリ答えました。「自分が旨いと思うコーヒー」と。
今では野暮な質問をしたなぁと感じますが、「そうだよな」とも納得しました。
そうなんです、あらゆる味は日本の味噌汁のようにその
そうなんです、味って味噌汁のように家庭の数、人の数だけあっていいんです。
そう思いませんか?誰かが旨いと言ったから旨いに違いない・・・こんな考察はナンセンスだなぁと感じます。
しかし基準の味を知らない料理にとっては、誰かの意見はとても重要です。
そもそも測るものがない場合は、とても参考になりますね。
しかし最終的には、自分の味覚に確固たる自信を持ちたいものです。
後記
それにしても、凄い時代がきたなぁと実感します。
その昔料理人だったころ、あこがれのシェフがユーチューバーになって、手元動画が見れたり、世界の食のトレンドが瞬時に分かったり、作りたいと思っていた料理のレシピが簡単に入手できたりとほんとすさまじさを感じます。
それが故に、色々味の探求の好奇心も旺盛になります。
こんな味に出会ったよとか、こんな料理あるよとか、そのお家の鉄板レシピ等知りたいですね。
私にとって、唯一無二の味は自分が作る、自分好みの料理かなぁ。